でも結局は英語も必要かもしれない
施光恒先生の「英語化は愚民化」に大変感銘を受けた私ですが、
それでも私は英語は必要論者です。
むしろ、英語の勉強これからも続けていくとの気構えは強くなった。
新自由主義の大勝
小池百合子圧勝での再選に見るように、日本で新自由主義は根付いてしまった。
国政では安倍晋三は依然として新自由主義的な(平蔵的)政策を推し進めている。
つまり日本では、グローバル化や構造改革路線の波は全然収まっていなくて、寧ろ静かに、新自由主義的な冷たい社会が淡々と続いているままだ。
そして、その世界で生き延びるには、個の力をつけなければ稼げない。
個の力
個の力などと言うと、サッカー日本代表みたいな響きで気持ち悪いのは重々承知であるが、現実として英語やその他スキルは必須になっていくような気配すら見せてきている。
英語の公用語なんて議論は昔からあるそうだ。
このまま英語化が進むのなら、その荒波に耐えなければならない。
政治に期待が持てない以上、個々人で頑張って力をつける以外に生き残る解決策が見当たらない。
「英語化は愚民化」が正しいと思うが、だからと言ってこれを言い訳に何も勉強しないのは間違っていると。
英語以外でもなんでも良い。
生き残るために努力はし続けるしかないのだと。
やはり一生勉強だ。