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日々徒然

英語教育は日本人を愚民化させる

中野剛志さんら、反グローバルリズム主張などを聞いていると、頻繁に論じられているこの話題。

初めて中野剛志さんの本を読んだのはもう6‐7年前で、

その時、僕はまだ日本に住んでいて、英語なんて必要ない派だったから、

中野先生の話を全面的に支持していた。

今は海外で生活が長くなり、自分でも英語学習を進めてきた僕にとって英語は必要不可欠だし無いと本当に困る。

最近は求められてないのに勝手に学習してる。

英語オタクかもしれない。

海外生活というものは人の価値観を変えてしまうのね。

 

それはさておき、久しぶりに見た中野剛志さんの話は強烈かつ、最高に面白くて、

久しぶりに見て思ったことを書き留めておきたい。

 

僕は日本人の英語教育についていまだに疑問的である。

日本の中で生活するうえで、日本語こそ研究するべきだし、

英語をマスターする前に俺たちは日本語をちゃんと話せているのかと思うのだ。

テレビに出るたびに、安易にカタカナ英語を連発する小池百合子都知事を見ていると、頭が痛くなる。

 

これはフィリピンを見てて思う。

フィリピンの国内で本当に優秀な人材はグローバル企業に吸い取られてしまう。

地場の賃金の知れた企業より、外資のほうが給与は断然良い。

つまり、英語が達者な人材は、フィリピン国内にとどまる必要が無い。

いわゆるAnywhere族という、国家単位で縛られないで働く場所を求められるようになる。

これは”個人”という観点からすると確かに国際競争力が上がっている。

でも、国内の優秀な人材を根こそぎ海外企業に流れたら、国内はどうなってしまうのか?

待っているのは国内の人材が空洞化だ。

英語教育というとグローバルなイメージで、なにか先進的なイメージがある。

日本人が英語を話せたら、日本の国際競争力は高まりそうな感じがする。

だが実態は、人材の流出を招き、国内の人材がさらに空洞化するだけなのかもしれない。

だから、国単位では強くならないと思う。

得をするのは一部の上場企業だけなのだ。